戦艦
Battleships

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


基準排水量:35,000t 満載排水量:43,293t 全長:247.9m 吃水線長:242.0m 幅:33.0m 吃水:9.6m 主缶:インドル・スラ缶6基 主機/軸数:パーソンズ式タービン4基/4軸 出力:150,000馬力 速力:30.0kt 燃料搭載量:重油6,700t 航続力:12.0ktで10,000浬 兵装:45口径380mm4連装砲2基、55口径152mm連装砲3基、45口径100mm連装高角砲6基、37mm連装対空機関砲2基、13.2mm4連装機銃6基 搭載機:水上機3機 装甲:水線330mm、砲塔170mm~430mm、副砲塔70mm~135mm、バーベット405mm、甲板40mm~150mm、司令塔340mm 乗員:1,500名

↑フランス海軍戦艦リシュリュー

↑フランス海軍戦艦リシュリュー(1943年時)

↑Image courtesy of Shipbucket.
※下はリシュリュー1936年最終案

↑Image courtesy of Shipbucket.

※下はジャン・バール対空砲改装計画案その1

↑Image courtesy of Shipbucket.

※下はジャン・バール対空砲改装計画案その2

↑Image courtesy of Shipbucket.

※下はジャン・バール指揮艦案

↑Image courtesy of Shipbucket.

艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
リシュリュー Richelieu Arsenal de Brest 1940/7/15 1967 1968 ◎1935/10/22 起工
◎1939/1/17 進水
◎ドイツが6月のフランスの戦いに勝利するわずか数日前に竣工したリシュリューは、フランスの管理下に置かれるため、フランス領西アフリカのダカールへと逃れた。そこでリシュリューは、自由フランス海軍への参加を強制するか、あるいは撃沈することを目的としたイギリス軍の度重なる攻撃を受けた。これには、1940年7月の“カタパルト作戦 Operation Catapult”や9月のダカールの戦いでの攻撃も含まれる
両攻撃で損傷を受けた同艦は、徐々に修理され、 1942年11月の連合軍による北アフリカ侵攻後、最終的に自由フランスの管理下に置かれた
◎修理と大規模な近代化のため米国に送られたのち、同艦は1944年初めに英国本国艦隊 Home Fleetに配属され、そののち、インド洋における対日作戦のため東洋艦隊 Eastern Fleetに配備された。これには数回の砲撃作戦が含まれ、1945年5月のマラッカ海峡海戦にも参加したが、日本軍と交戦するには距離が遠すぎた
◎リシュリューは、9月の日本の降伏後にシンガポールを解放した部隊の一員であり、そののち、フランス領インドシナでフランス植民地支配の回復に向けた初期作戦の一環として活動した。1945年12月にフランスに呼び戻され、1946年に若干の修理と近代化を受けた。戦後間もない時期は訓練が比較的限定的で、1952年に現役から外され、砲術訓練艦として使用されるようになった。1956年に予備役となり、そののち1967年にフランス海軍が廃棄を決定したまで、固定式訓練艦および兵舎艦として使用された。1968年にスクラップとして売却され、 1968年から1969年にかけてイタリアにて解体された
☆リシュリューの撃沈スコア(以下の艦船)
・1940/9/23 イギリス海軍戦艦バーラム Barham(04、リシュリューが発射した380mm砲弾が着弾地点より手前に落ちた際、右舷下部胴部に爆風による損傷を受けた)
ジャン・バール Jean Bart Ateliers et Chantiers de Saint-Nazaire Penhoët 1949/1/8 1970/2/10 ◎1936/12/12 起工
◎1940/3/6 進水
◎1940年に進水するもドイツがフランスの戦いに勝利した時点ではまだ艦は竣工しておらず、ジャン・バールは進攻するドイツ軍から逃れるためにカサブランカへ急送された。同艦には主砲塔が1基しか設置されておらず、それに加えて少数の対空砲が搭載されていた。カサブランカ滞在中、フランス軍は限られたインフラと艦を完成させるための部品の不足を考慮し、可能な限り艦を戦闘態勢に整えようと試みた。対空砲が入手可能になるにつれて徐々に対空兵装が増強され、1942年には捜索レーダーが搭載された。11月、アメリカ軍とイギリス軍は“トーチ作戦 Operation Torch”でフランス領北アフリカに侵攻した。ジャン・バールは当初、この攻撃に抵抗し、戦艦マサチューセッツ Massachusetts(BB-59)と砲撃戦を繰り広げたのち 、アメリカ軍の急降下爆撃機によって大きな損傷を受けた。この地域のフランス軍が連合国側に寝返ったのち、フランス軍はアメリカで艦を完成させようと試みたが、アメリカ海軍はこの計画に興味を示さなかったため、要請は実現しなかった。そのため、ジャン・バールはカサブランカで可能な限り修理され、そののちは残りの戦争期間をそこで練習艦として過ごした
◎1945年、同艦の運命について議論が行われ、空母に改装するか、戦艦として完成させるか、あるいは完全に廃棄するかが検討された。最終的に戦艦として完成させることが決定され、その過程には数年を要した。同艦の作業の大部分は1955年までに完了し、同艦は正式に現役に就き、そののちまもなくデンマークとアメリカ合衆国を訪問する2回の海外航海を行った。リシュリューとジャン・バールが一緒に航海したのは1956年1月30日の1回だけだった。ジャン・バールは1956年11月のスエズ危機におけるフランスの介入に参加し、Port Saidへの短時間の4発の砲撃も行った。1957年8月に予備役に降格され、1961年まで兵舎船として使用された。同艦は1970年に海軍籍から抹消され、スクラップとして売却されるまで、フランス海軍の在庫として未使用のまま残っていた
クレマンソー Clemenceau Arsenal de Brest ◎1939/1/17 起工
◎建造中止
ガスコーニュ Gascony Ateliers et Chantiers de Saint-Nazaire Penhoët ◎未着手のまま建造中止


Update 26/05/09