輸送船
Transports

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


総トン数:45,000t~48,000t 排水量:52,310t 全長:269.6m 幅:28.19m(ブリタニックは28.65m) 高さ(キールからマスト頂部まで):62.48m 吃水:10.54m 深さ(キールからCデッキ側面まで):19.73m 主缶:Scotch式15 bar船舶用ボイラー24基(double-ended)、ボイラー5基(single-ended):試験圧力30bar 主機/軸数:外側翼プロペラ用4-cyl. reciprocating蒸気機関2基、中央プロペラ用低圧タービン1基/青銅製3枚羽根翼プロペラ2基、オリンピックとブリタニックには青銅製4枚羽根中央プロペラ1基、タイタニックには青銅製3枚羽根中央プロペラ1基 出力:50,000馬力(最大出力59,000馬力) 速力:21.0kt(最大23.0kt) 甲板数:9 乗員:892名(乗客・乗組員・船員合わせて3,327名を収容)

↑客船オリンピック

↑客船タイタニック

↑病院船ブリタニック

↑Image courtesy of Shipbucket.

艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
オリンピック Olympic Harland and Wolff, Belfast ◎1908/12/16 起工
◎1910/10/20 進水
◎1911/5/31 竣工
◎1911 White Star Lineにて運航(イギリス・オフィシャル・ナンバー131346)
◎1911年5月29日に海上公試を開始
1911年9月20日の5回目の航海で、ソレント海峡にて並走中にイギリス海軍防護巡洋艦ホーク Hawkeと衝突(ホークはオリンピックの船尾付近の右舷側に衝突し、オリンピックの船体に喫水線上下2つの大きな穴が開き、2つの水密区画が浸水し、プロペラシャフトがねじれた)
1912年2月24日、オリンピックはニュー・ヨーク発東行きの航海中にプロペラ・ブレードが破損
1912年4月末、サウサンプトンからニュー・ヨークに向けて出航しようとしていたとき、船内の消防士284名が、船の新しい折り畳み式救命ボートが航海に耐えられないことを恐れてストライキを起こした
◎1912年10月9日、ホワイト・スター社はオリンピックを退役させ、ベルフーァストの造船所に返却して、6か月前のタイタニックの惨事から学んだ教訓を反映させて安全性を向上させる改修を加えた(オリンピックが搭載する救命ボートの数は20隻から68隻に増加され、ボート・デッキに沿って追加のダヴィットが設置された。また、ボイラー室と機関室に内側の水密外板が作られ、二重船体となった。5つの水密隔壁がBデッキまで延長され、船体全体の高さに達した。これにより、隔壁が水面から少し上のEデッキまたはDデッキまでしか上がっていなかった元の設計の欠陥が修正された)
◎1913年3月、オリンピックはふたたび航行を開始
◎1914年8月4日、イギリスは第一次大戦に参戦した。オリンピックは当初、ハーバート・ジェームズ・ハドック船長 Captain Herbert James Haddockの指揮下で商業運航を継続した。戦時措置として、オリンピックは灰色に塗装され、舷窓は塞がれ、甲板上の照明は消灯され、船の視認性が低下した
◎1915年5月に海軍本部に徴用され、Cunard linerの定期船モーリタニア Mauretaniaとアキタニア Aquitaniaとともに兵員輸送船として使用。平時の装備を剥ぎ取られ、12ポンド砲と4.7インチ砲で武装されたオリンピックは、6,000人までの兵士を輸送できる兵員輸送船に改装された
◎1915年9月24日、新たにHMT(軍事輸送船)2810 HMT (Hired Military Transport) 2810と命名
◎オリンピックは1916年初めにガリポリ作戦が中止されるまで、地中海への兵員輸送を数回行った
◎1916年から1917年にかけて、オリンピックはカナダ政府にチャーターされ、ノヴァスコシア州ハリファックスから英国に兵士を輸送
◎1918年5月12日の早朝、アメリカ軍部隊を乗せてイギリス海峡を経由してフランスへ向かっていたオリンピックは、 500m(1,600フィート)前方に浮上中のUボートを発見した。オリンピックの砲手はすぐに発砲し、船は潜水艦に体当たりしようとしたが、潜水艦はすぐに30m(98フィート)まで急潜航し、平行針路に転じた。その直後、オリンピックは司令塔のすぐ後ろの潜水艦に衝突し、左舷のプロペラがU103の耐圧殻を切り裂いた。U103の乗組員はバラストタンクを吹き飛ばして自沈し、潜水艦を放棄した。オリンピックは 生存者を救助するために立ち止まらず、シェルブールへ向かって航行を続けた。オリンピックは、少なくとも2枚の船体板がへこみ、船首が片側にねじれた状態でサウサンプトンに戻ったが、破損はなかった。バートラム・フォックス・ヘイズ船長 Bertram Fox Hayesは、その功績により殊勲章(Distinguished Service Order: DSO)を授与された。乗組員の何人かのアメリカ兵(アメリカ歩兵第59連隊 59th Regiment United States Infantry)が、オリンピックのラウンジの一つにこの出来事を記念する銘板を設置する費用を負担
◎1919年8月、オリンピックは民間航行への復帰のためベルファーストに戻った。船内は近代化され、ボイラーは石炭焚きから石油焚きに改造された
1924年3月22日、今度はニュー・ヨークにてオリンピックはふたたび船舶との衝突事故に巻き込まれた。ニュー・ヨーク港の停泊地から後進していたオリンピックの船尾が、進路を横切っていた小型客船Fort St Georgeと衝突した。この衝突により小型船は甚大な被害を受けた。当初オリンピックの損傷は軽微と思われたが、のちに船尾柱が折れており、船尾フレーム全体の交換が必要であることが判明した
◎1927年から1928年にかけて、オリンピックは1等船室、2等船室、3等船室に加え、観光用の3等船室の乗客も運べるように改装。1年後、オリンピック号の一等船室は再び改良され、浴室が増設され、拡張された一等船室のダイニング・サロンにはダンス・フロアが設置され、Bデッキ前方にはプライヴェートな設備を備えた新しいスイートがいくつか設置された
◎1932年末、旅客輸送量の減少を受け、オリンピックは4ヶ月をかけてオーヴァーホールと改修工事を行った
1934/5/15 濃霧によりオリンピックに衝突されアメリカ商務省灯台部灯船LV-117が沈没(灯船の乗組員7名が死亡した。のちにイギリス政府はこの損失の補償としてLV-112の建造費を支払った、123
◎1935年4月5日にニュー・ヨークを最後に出航し、イギリスに戻ってサウサンプトンに係留
◎オリンピックはかつてのライヴァルであるモーリタニアの横に5か月間係留されたのち、国会議員のジョン・ジャーヴィス卿 Sir John Jarvisに£97,500で売却され、不況地域の雇用創出のためJarrowで部分的に解体された。1935年10月11日、オリンピックはサザンプトンを最後に出航し、2日後にJarrowに到着した。船の艤装品が競売にかけられたのち、解体が始まった。1935年から1937年にかけて、オリンピックの上部構造と船体上部は解体され、残りの船体は1937年9月19日にトス島へ曳航された。オリンピックは、Inverkeithingにある Thos. W. Ward's yardにて最終的な解体工事が行われ、おそらく1938年末か1939年初頭に完了した。オリンピックは1939年2月4日に船舶登録簿から抹消された
◎ニックネームはオールド・リライアブル Old Reliable
☆オリンピックの撃沈スコア(以下の艦船)
・1918/5/12 ドイツ帝政海軍潜水艦U103(49.16N、04.51Wにて体当たりにより撃沈)
タイタニック Titanic Harland and Wolff, Belfast ◎1909/3/31 起工
◎1911/5/31 進水
◎1912/4/2 竣工
◎1912/4/10 White Star Lineにて運航(イギリス・オフィシャル・ナンバー131428)
1912/4/15 氷山に衝突し沈没(乗船していた乗客乗員推定2,224人のうち、およそ1,500人(推計はさまざま)が死亡し、この事故は平時における単一船舶の沈没事故としては最悪のものとなった)
1985/9/1 ジャンルイ・ミシェル Jean-Louis Michelロバート・バラード Robert Ballard率いるフランスとアメリカの探検隊が発見に成功した(分離した船首と船尾の部分はニューファンドランド島沖のタイタニック峡谷で約0.54km(約3分の1マイル)離れた場所に横たわっている)
ブリタニック Britannic Harland and Wolff, Belfast ◎1911/11/30 起工
◎1914/2/26 進水
◎1915年11月13日、ブリタニックはベルファーストの保管場所から病院船として徴用。船体は白く塗り直され、大きな赤い十字と緑の横縞が入れられた。船内には3,309床と複数の手術室が設置された。上層デッキの共用エリアは負傷者の部屋に改装された。Bデッキの船室は医師の居住スペースとして使用された。Dデッキの1等食堂と1等応接室は手術室に改装された。下部ブリッジは軽傷者の収容に使用された。医療機器は1915年12月12日に設置された
◎1915年12月12日、リヴァプールで任務に就くことが宣言されると、ブリタニックには看護師101名、下士官336名、将校52名からなる医療チームと675名の乗組員が配属
◎1915/12/23 運用開始
◎1916年6月6日に軍務を終えたブリタニックは、大西洋横断客船への改造に必要な改修工事のためベルファーストに戻った。イギリス政府はWhite Star Lineに改修費用として£75,000ポンドを支払った。改修工事は数ヶ月続いたが、ブリタニックがふたたび軍務に復帰したことで中断された
◎1916年8月26日、海軍本部はブリタニックを病院船として再徴用し、同年9月24日に4度目の航海のため地中海へ戻った
1916/11/21 エーゲ海のKea沖にてドイツ海軍の機雷に接触し沈没(55分後に沈没、乗船していた1,066人のうち30人が死亡した。1,036人の生存者は海と救命ボートから救助された。ブリタニックは第一次大戦で失われた最大の船であった)
1975年11月13日にジャック・クストー Jacques Cousteauによってサイドスキャンソナー画像で発見された
この船の沈没は、2000年のTV映画「ブリタニック Britannic」でフィクション化され、エドワード・アタートン Edward Attertonアマンダ・ライアン Amanda Ryanジャクリーン・ビセット Jacqueline Bissetジョン・リス=デイヴィス John Rhys-Daviesが出演し、この船が密かに軍需物資を輸送していたことを理由に、ドイツの工作員が船を破壊する様子が描かれた
BBC2 のドキュメンタリー「Titanic's Tragic Twin-the Britannic Disaster」は、2016年12月5日に放送された。ケイト・ハンブル Kate Humbleアンディ・トーベット Andy Torbetが司会を務め、沈没船の最新の水中映像を使用し、生存者の親族にインタヴューを行った
歴史ドキュメンタリー・ドラマ「The Mystery Of The Britannic」は 2017 年に公開され、海洋探検家リチャード・コーラー Richard Kohlerが同船の最後の航海を調査する様子が描かれている
アルマ・カツ Alma Katsuの2020年の小説「The Deep」は、ブリタニックとタイタニックを舞台の一部とし、両船の沈没を中心に描かれている


Update 26/01/25