Light Cruisers
アイコン | 意味 |
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戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません |
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戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです |
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映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です |
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参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
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インターネットやTVゲームに登場する事柄です |
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不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 基準排水量:10,260t 全長:186.99m 垂線間長:176.47m 幅:19.30m 吃水:5.30m 主缶:アドミラルティ3胴式水管缶(重油専焼)4基 主機/軸数:パーソンズ式オール・ギアード蒸気タービン/4軸 出力:80,000馬力 速力:32.5kt 燃料搭載量:重油2,250t 航続力:12.0ktで12,200浬 兵装:50口径152mm3連装砲Mk. XXIII 4基、45口径102mm連装高角砲Mk. XVI 6基、39口径40mm8連装ポンポン砲2基、12.7mm4連装機銃Mk. III 2基、20mm連装機関砲12基、533mm3連装水上魚雷発射管2基(ベルファスト1945年時は50口径152mm3連装砲Mk. XXIII 4基、45口径102mm連装高角砲Mk. XVI 4基、39口径40mm8連装ポンポン砲2基、39口径40mm4連装ポンポン砲4基、20mm連装機関砲12基、533mm水上魚雷発射管) 装甲:水線114mm、甲板32~38mm、弾火薬庫25~114mm、砲楯51~102mm 搭載機:水上偵察機3機 乗員:850名
- ※タウン級軽巡洋艦第3群
↑エジンバラ級軽巡洋艦エジンバラ
↑HMS Belfast (British Light Cruiser, 1939). Coming alongside USS Bataan (CVL-29) while operating off the coast of Korea on 27 May 1952. One of Bataan's 40mm twin gun mounts is in the left foreground. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. Image courtesy of HyperWar.
↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ベルファスト | Belfast | C.35 | Harland & Wolff | 1939/8/5 | 1948 | ◎1936/12/10 起工 ◎1938/3/17 進水 ◎1939/8/3 竣工 ◎1939年3月から8月にかけてベルファストは艤装工事と海上公試が行われた ◎イギリスのポーツマスにて就役、本国艦隊第2巡洋艦戦隊に編入 ◎1939/8/31 第18巡洋艦戦隊に編入 ◎1939/10/9 北海にてノルウェー船Tai Yinを臨検 ◎1936/9 第二次近代化改装(~1939/8) ![]() ◎1940/1/4 ベルファストは大規模修理のため退役。Rosyth Dockyardの管轄下に置かれ、乗組員はほかの艦艇に分散させられて異動となった。6月28日までには、Devonportへ向かうのに十分な修理を受けた ◎1942/11/3 Devonportにて再役、第10巡洋艦戦隊旗艦となる ◎1944/4 ベルファストは4月23日から5月8日までRosythで小規模な修理を受け、乗員は休暇を与えられた ![]() ◎1944冬 改装(~1945/4) ◎1947年8月20日にポーツマスに向けて出航した。ポーツマスにて予備役に編入、大規模改修 ◎1948/9/22 再役 ◎1950秋 修理 ◎1951/6/1 シンガポールへ到着後修理 ◎1952年11月4日にChatham Dockyardにて退役され、12月1日にDevonportにて予備役に編入 ◎1955/3 近代化改装 ◎1959年5月12日にDevonportにて再役 ◎ベルファストは1963年8月24日にDevonportへ帰還し、1963年12月に予備役編入準備のため短期間の改装を受けた。1966年1月に艦と動力系統の一部が活性化され、フェアラム・クリークに係留された状態で1966年5月から1970年までポーツマスの予備役部隊用宿泊艦として活動した ◎政府は1971年7月にベルファストを民間のトラスト団体「HMSベルファスト・トラスト」へ引き渡すことに同意 ◎1971/10/21 一般公開 ![]() ![]() ◎2017 ベルファスト(1938)と改名 ![]() ![]() |
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☆ベルファストの撃沈スコア(以下の艦船) ・1939/10/9 ドイツ定期船Cap Norte(フェロー諸島北西海域にて拿捕) |
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エディンバラ | Edinburgh | C.16 | Swan, Hunter & Wigham Richardson, Ltd. | 1939/7/6 | ― | ◎1936/12/30 起工 ◎1938/3/31 進水 ◎1939/7/6 竣工 ◎第18巡洋艦戦隊に編入 ◎1939/10 第2巡洋艦戦隊に編入 ![]() ◎1941/3/17 エディンバラはタイン川に到着し、10月28日まで長期間の修理をおこなった、修理後エディンバラはふたたび第18巡洋艦戦隊に編入 ◎1941/7初め ジブラルタルにてドック入りした ◎1942/1 ニューカッスル・タインにて修理(~1942/3) ![]() ◎1942/5/2 Bear Islandにてドイツ海軍駆逐艦の攻撃中、U456の雷撃により損傷、のちに沈没処分 ◎帰路、エディンバラは4.5t(4,570kg)の金塊を英国に運んでいた。1942年当時、約£1500,000ポンド(インフレ調整後、£2,025、£220,000,000)の価値があったこの委託品は、西側連合国からの戦争物資と軍事装備の供給に対するソヴィエトによる支払いの一部であった。船には合計で、U456から発射された最初の魚雷が命中したすぐ船尾の爆弾室に、93個の木箱に入った465個の金のインゴットが保管されていた ◎第二次大戦から9年後の1954年、英国政府はエジンバラの引き揚げ権を英国のサルヴェージ会社であるRisdon Beazley, Ltd. に提供した。しかし、ソヴィエトとの政治的関係が緊張したため、このプロジェクトは保留となった ![]() ◎1970年代後半になると、英国政府は金塊の価値だけでなく、沈没船が悪徳な引き揚げ業者やソヴィエトによって略奪されるのではないかという懸念が高まったため、金塊の回収を強く望むようになった ◎1980年代初め、ヴェテラン・ダイヴァーのキース・ジェソップ Keith Jessopが経営するJessop Marineは、世界的なダイヴィング会社であるWharton Williams, Ltd. と海運専門会社のOSAの全面的な指導と支援のもと、沈没船の回収を試みる契約を獲得した。ダイヴァーによる沈没船への切り込みは、従来の“粉砕してつかむ”爆発物重視の方法よりも、戦争墓地にふさわしいと判断された。そして、このプロジェクトのための専門企業のコンソーシアムが結成された:Wharton Williamsがマネージャーを務め、OSAとDeccaが参加した。このグループは、Jessop Marineと契約し、エディンバラの爆弾室から金塊の回収を試みた ◎1981年4月、OSAの調査船Dammtorは、元英国海軍調査官ジョン・クラーク John Clarkeの指揮の下、Deccaの調査員とともにバレンツ海で沈没船の捜索を開始した。その海域は、ソヴィエト連邦とノルウェーの沿岸から北に約150マイル(240km)の地点であった。48時間足らずで、Deccaは72N、35E、ソヴィエト沿岸から北に約400キロ(250マイル)離れたコラ入江で沈没船を発見した。水深は245m(800フィート)だった。DammtorはScorpio ROVを展開し、沈没船の詳細なフィルムを撮影した。これによりWharton WilliamsとOSAは、回収プロジェクトを評価することができた。テムズ川に係船中の双子の姉妹艦ベルファストの生存により、経営陣とのちの潜水チームは、爆弾室を囲む区画のレイアウトや、特に、敵対的で辺鄙な場所で800フィート下の船に切り込むという挑戦の規模を調査し、吸収することができた ◎その年の暮れ、8月30日、OSAの潜水支援船ステファニトゥルム号がピーターヘッドから現地に赴き、元海軍クリアランス潜水士官マイク・スチュワート Mike Stewartの指揮の下、潜水作業が本格的に開始された。 ![]() ![]() |
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☆エディンバラの撃沈スコア(以下の艦船) ・1942/5/2 ドイツ海軍駆逐艦Hermann Schömann(Z7、Bear Islandにて損傷を与える(他艦と共同で)、のちに沈没処分) |
Update 25/03/16