重巡洋艦
Heavy Cruisers

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


基準排水量:14,050t(プリンツ・オイゲンは14,680t、ザイドリッツ、リュッツオウは14,240t) 満載排水量:18,200t(プリンツ・オイゲンは18,750t、ザイドリッツ、リュッツオウは19,800t) 全長:202.8m(ブリュッヒャーは203.2m、プリンツ・オイゲンは207.7m、ザイドリッツ、リュッツオウは210.0m) 幅:21.3m(ブリュッヒャーは22.0m、プリンツ・オイゲンは21.7m、ザイドリッツ、リュッツオウは21.8m) 吃水(満載):7.7m(ブリュッヒャー、プリンツ・オイゲンは7.2m、ザイドリッツ、リュッツオウは7.9m) 主缶:ラモント式高圧重油専焼缶12基(ブリュッヒャーはワーグナー式高圧重油専焼缶12基、ザイドリッツ、リュッツオウはワーグナー式高圧重油専焼缶9基) 主機/軸数:ブロームウントフォス式ギアード・タービン3基(プリンツ・オイゲンは海軍式ギアード・タービン3基、ザイドリッツ、リュッツオウはデシマーク式ギアード・タービン3基)/3軸 出力:132,000馬力(ブリュッヒャーは131,821馬力、プリンツ・オイゲンは137,500馬力、ザイドリッツ、リュッツオウは132,000馬力) 速力(最大):32.6kt(ブリュッヒャーは32.8kt、プリンツ・オイゲンは32.2kt、ザイドリッツ、リュッツオウは32.0kt) 航続力:20.0ktで6,800浬 兵装:60口径203mm連装砲4基、65口径105mm連装高角砲6基、83口径37mm連装機関砲6基、65口径20mm単装機銃8基、533mm3連装水上魚雷発射管4基 搭載機:水上偵察機3機 装甲:水線80mm、主砲塔前楯160mm、主砲塔天蓋80mm、甲板30mm、司令塔150mm 乗員:1,382名~1,600名

↑アトミラール・ヒッパー級重巡洋艦アトミラール・ヒッパー(1940年ノルウェー侵攻時)

↑アトミラール・ヒッパー級重巡洋艦アトミラール・ヒッパー(1944年時)

↑Image courtesy of Shipbucket.

※下の画像はアドミラル・ヒッパー級の初期設計案

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アトミラール・ヒッパー Admiral Hipper ブローム&フォス 1939/4/29 1943/2/28 ◎1935/7/6 起工
◎1937/2/6 進水
1940/4/8 トロンヘイム沖にてイギリス海軍駆逐艦Glowworm(H.92)と衝突し損傷(Glowwormを沈没させる)、のちに修理
◎1940/10 キールとハンブルクにて機関修理
◎1942/9末? ボーゲン湾にて機関修理
1942/12/31 バレンツ海海戦にてイギリス海軍軽巡洋艦の砲撃により損傷
◎1943/4 Pillauへ移動
◎1944 Gotenhafenへ移動
◎1945/1/25 Gotenhafenを出航
◎1945/2/2 キール到着、Germaniawerft shipyardにて改装
1945/5/3 Germaniawerft shipyardの乾ドック内でイギリス空軍機の爆撃により損傷、着底
◎1948 引き揚げられる、Heikendorfer Bayへ曳航
◎1952 解体完了
鐘はグリニッジの国立海洋博物館にて展示
鐘はドイツのラボー海軍記念館にて展示
☆アトミラール・ヒッパーの撃沈スコア(以下の艦船)
・1940/4/8 イギリス海軍駆逐艦Glowworm(H.92、トロンハイム沖にて撃沈)
(←イギリス海軍駆逐艦グローウォーム(1939年時))
・1940/12/25 イギリス海軍重巡洋艦Berwick(65、大西洋にて損傷を与える)
・1940/12/25 貨物船Jumna(Cape Finisterre西方海域にて撃沈)
・1942/12/31 イギリス海軍駆逐艦Achates(H.12、バレンツ海にて撃沈)
(←イギリス海軍駆逐艦アカスタ(1933年時))
ブリュッヒャー Blücher Deutsche Werke 1939/9/20 ◎1935/8/15 起工
◎1937/6/8 進水
1940/4/9 ノルウェー軍のオスカシボルグ要塞の砲撃、カホルム島の魚雷発射管の雷撃により損傷、のちにオスロ沖にて転覆
プリンツ・オイゲン
12
Prinz Eugen Krupp Germania Werft Yards 1940/8/1 1945/5/7 ◎1936/4/23 起工
◎1938/8/22 進水
1940/7/1 キールにてイギリス空軍機の爆撃により損傷
1941/7/2 ブレストにてイギリス空軍機の爆撃により損傷
1942/2/23 Trondheimsfjord沖にてイギリス海軍潜水艦Trident(N.52)の雷撃により損傷、Lofjordへ曳航、修理(~1942/5/16)
◎のちにキールにて修理(~1942/10)
1944/10/15 ヘル北方海域にて濃霧により軽巡洋艦ライプツィヒ Leipzigと衝突し損傷
1945/5/7(1945/5/8?) コペンハーゲンにてイギリス軍に降伏、引き渡される
◎1946/1/13 戦利艦としてアメリカが取得
☆プリンツ・オイゲンの撃沈スコア(以下の艦船)
・1941/5/24 イギリス海軍戦艦Prince of Wales(53、大西洋にて損傷を与える
(←イギリス海軍戦艦キング・ジョージV世(1940年時))

・1942/2/12 イギリス海軍駆逐艦Worcester(D.96、北海南部にて損傷を与える(巡洋戦艦グナイゼナウ Gneisenauと共同で))
ザイドリッツ Seydlitz Deutsche Schiff-und Maschinenbau ◎1936/12/29 起工
◎1939/1/19 進水
◎1942/8 航空母艦に改装
リュッツオウ Lützow Deutsche Schiff-und Maschinenbau ◎1937/2/8 起工
◎1939/1/7 進水
◎1940/2 ソヴィエトに売却されレニングラードのオルジョニキーゼ記念工場(第189造船所)へ曳航
◎1940/9/25 Petropavlovskと改名
1941/9/17 ドイツ軍の砲爆撃により沈没
◎1942/9/10 引き揚げられる
◎1942/9/16 曳航
◎1944/9/1 Tallinnと改名
◎1953 艦種を練習艦に改め、Dnieprと改名
◎1956/12 海上兵舎に改装、PKZ-112と改名
◎1958/4 除籍


Update 24/02/26